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”気分の悪いこと”はなくてはならない

  • 2013/11/26(火) 19:57:32



世の中に、毎日の生活のなかに、気分のよくない、納得のいかないことが、だれにでもあるはずだ。



政治が悪い、システムが悪い、税金は高い、会社に馬の合わない人間がいる、給料が少ない、意見の違う人間がいる、毎日単調で面白くない、、、



普通に生活していても、なにか気に食わないことや、問題意識が芽生えてくる。


問題意識は基本的には”重り”のようなものに感じられる。

重圧やプレッシャーや苦痛の類に。



苦痛であることには変わりはなくても、苦痛であるから気づくことや、それが故にはねのけようとする反発心、つまり、なにかをしよう、と思うに至らしめることもある。




なにか反発心や思い通りにいかない事柄もあったほうがいいのだ。



なんにもなかったら暇でしかない。


暇を持て余し、カネを持て余した中世ヨーロッパの貴族は、暇をどうしていいかわからなかった。




おかしいと思うことやこうあるべきではないかと思うような事柄を背負うと重圧にもなるが、逆にエネルギーにもなる。

バネのような踏み台になる。




時間とお金が有り余ったような状態は、昔の公家のように詩歌を詠むようなことでしか愉しみがない状態をつくるかもしれない。

詩歌を詠むか、蹴鞠をするぐらいしか時間というものに対して関わることができなかった。




暇を持て余した先での芸術的感情よりも、日々の現場、実生活のなかから自然に出る芸術的感情のほうが、よほど人間らしいと思う。







フォーカスし、テーマを絞ることがある、というのはエネルギーを落とし込みやすい状態、ということでもある。


とりとめもなくなんでもできると言われたらうろたえるだろう。


ノートも、目盛りや線が引いてあるやつのほうが安心する。



なんでもできるというあまりに広大な状態というのは、宇宙にでも放り出されたかのような孤独感や疎外感のようなものがまとわりつくようなもので、えてして、なにもできない、という気になることかもしれない。

つまり却ってなにもできないことになるのではないか。





不快な気分や腹立たしい気持ちは、
フォーカスされた、絞られたテーマのなかで、右往左往し試行錯誤するほんの些細な、なにかのきっかけで、反転し得る場合もある。


フォーカスし、絞った範囲のなかで、もがいたり抵抗をしたからこそ出る”動き”でもあるのだ。





わからないときは、とにかく次のページをめくるしかない。



なにが自分にとってのきっかけになるかなど、自分自身もわからないのだ。



あくまでアクションしたからこそ出る”動き”であり、
そのアクションを起こすには、
ある程度、”幅”を、また”テーマを絞る”、ということでエネルギーを落とし込みやすい状態を作れる。




普通に生きてて、受身で決められた、幅、も幅ではあり反発心を煽るがしかし、


自分でフォーカスし、その対象やテーマを決めて、自ら、いってみればひとつの目標とでもいうか、指標みたいなものを決めるというやり方のほうが、跳躍しやすい。また有意義だ。




自由とはつまり能動性のなかにあるものだ。




とりとめもないことは、ひとを不安にもさせ、動力を鈍らせる。


そこに刺激的要素、社会のなかでのおかしいと思う、納得のいかない、受動の刺激があるいみ自然的に加わる。


それに対しての反発心、反骨心だけでは、焼けた石のように、あまりにもただ熱すぎ、他人にも、また自分自身も怪我をする恐れもあるので、



自分でカテゴリーや、テーマ、範囲を決めることのなかで、跳躍するような自分の素直なエネルギーを落とし込むというひとつのやり方も、上乗せして考えると、



そんなに、”わたしたちを気分悪くさせる様々な問題”、も、


悪い”ばかり”ではないことに気がつく。



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個人の力

  • 2013/11/05(火) 16:21:56

みんな、同じものをみていたとしても
そのひとの目というフィルターを通してみえるもの。

これがそれぞれ違う。


革命を起こそうとするような飛び抜けた独創性は難しいにしろ

個人個人、同じ題材や物事をみているようでも
まったくちがうものをみている場合が多々ある。

刺激があたえるもの

  • 2013/11/04(月) 08:42:02

実は、適度な刺激、外圧は、自分が考えを巡らせたり、構築させたりするための潤滑油に、エネルギーになる。


だから、逆にいうと、それに甘んじていてはそこからはなんら進展しない。

自分の生活全体のリズムとして
永遠にループするからである。

  • 2013/07/09(火) 18:07:46

今、現在がいちばん怖いから、皆考える。

考える題材は、事象は過去の蓄積からの観念である。

従って、考えることで今を誤魔化すのである。