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減らせる、という能力

  • 2013/11/22(金) 19:46:49



例えば旅行に出かけるようなとき、荷物を多く持っていこうとするタイプか、
できるだけ最小限にコンパクトに纏めようとするタイプか、
どちらが多いだろう?



多くを準備し、多くを抱えようとするか、
できるだけ少なく身軽で動きやすい方がいいか、
あなたはどちらだろう。



ウェブの時代になってから、世の中はあらゆる情報で溢れかえっている。

ほんの数十年前まで、ネットもなかった。

携帯もパカパカさせるやつが主流だった。
その前はPHSや、ポケベルなんていうものもあった。。

それが今やスマホの時代になった。


またそれに伴うように情報も氾濫するようになった。
ポケットからすぐ取り出し、どこでも瞬時に情報にアクセスできるようになった。


便利になったのと引き換えるように、
わたしたちはとても多くの情報を持つようになった。


知らなくていいような情報にまで興味を延ばすことも珍しくはない。


時間さえあれば、情報にアクセスし、情報を得るために時間を使う。
そんな毎日もあたりまえになった。


誰でもが手軽に簡単にいろんな情報や他人の生活やリズムまでをも知り得ることができるようになった。




そこで、わたしたちはなにを手にしているのだろう。




情報をあたりまえのように需要するけれど、それで一体なにを得ているのだろう。



もしかすると、情報に縛られていやしないだろうか。という思いがこみ上げてくる。

情報にアクセスしていなければ、不安で落ち着かない、社会の動きについていけない、
友達や周りの会話に入れない、など、
ひとつの強迫観念のようなものが裏打ちして情報にアクセスすることを追い立てているようにも思える。



それは”自分自身”よりも”情報”の方が上に来ていて、首根っこを押さえられてるような状態のように見えなくもない。

情報に乗られてる、
乗りかかられてる、ような状態、
こんなふうに感じる。



情報を追っているはずが、
逆に情報に追いかけ回されてるようにみえてくる。


いろんなことを知ることができるようになったぶん、
選択肢や、視野や、世界観が広がったかのような気になる。


しかし選択肢の多さは時に混乱を招く場合もある。
所持したものの重みも同時に背負うことになる。

またそれに費やす時間も増えてしまう。



ひとはなにかを知ると、なにかを失うこともある。




顔が売れ、有名になればお金や名声が手に入れど、誰でもない、ナニモノでもない”無名であるという気ままな自由”が同時に奪われるように。




誰でもが簡単に情報にアクセスできるようになり、
いままで専門家やごく一部のひとしか知りえなかった専門的なことまで知れるようにもなった。




おかげでわたしたちはとても”荷物持ち”になった。




多くを選択できるというのは、
時に重荷でもあり、不毛に時間を浪費し、得たところであまり役に立たないものであるかもしれない。

また周りの雰囲気や、置いていかれないがためにひとつの強迫観念のようなものが裏打ちし、急き立てるように情報にアクセスしようとしているようにもみえる。



情報が氾濫した渦のなかに身を置いていれば一種の”酔い”のような状態にもなる。
酔いが回っているような状態で頭のなかが果たしてクリアだろうか?



また情報に時間を割きすぎるのは自分の限られた時間を侵食することになる。

得た情報の量の多さは、単に重みになる場合もある。




本当になにかを得ようとおもえば、
余白や空き、スペースがないとすんなり入ってこない。



荷物を持ちすぎて息を切らし、手も足も塞がっていては走ることもできない。
腹いっぱいなのに、それ以上食べられない。
そんな状態は、愉しむような気持ちや、ゆとりも半減してしまいがちになる。

またなにより限られた時間を有効に使えていないかもしれない。


スペースがない状態は負担以外のなにものでもない。



ひとは息が詰まったと感じたとき、
伸びをし、深呼吸をしてひと息つくような動作をするのも、自身のなかにスペースやゆとりを確保しようとする無意識が裏を打っているからではないだろうか。


情報というなだれに重圧をかけられ、息の詰まるような状態では、なかなか本当に自分にとっての必要な情報を得る機会までをも失ってしまいやしないだろうか。




新しく吸収するものを増やし、自分を高めたいと思うからこそ、
今の自分の持ち物の量と、その関わり方をよく見直し、
エネルギー豊な状態でいるためには、
減らしたことで生まれたスペースから、
新たな自分にとっての価値が顔を覗かせることがあるかもしれない。



ひとは自分が得たものをなかなか手放したくないものでもある。


しかし得たものを、自分から処理し、捨てていける、ということの方が、はるかに難しいことのひとつだといえはしないだろうか。


それができたとき、また新たな世界がみえるのかもしれない。





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